ヒッチコック
ヨルシカ
ユリア・ジンジャーマン
よく晴れた日だった。青色の天の下ではぁ、はぁ、と息を吐きながら自転車を漕ぐ。街中を必死に走る。白い息を吐いて、白いマフラーを巻いて、私は仕事からの帰路に着く。まだ陽が傾く前の時間。シフト制の仕事は嫌いではない。
あ、今なら死んでも後悔ないかも。
ふと思い立ったことだ。空があまりにも青かったからかもしれない。こんなに天気の良い日に死んでしまえたら幸せだと思えた。別に仕事が嫌だとか、生きるのが嫌だとか、そういう訳ではない。漠然とした希死念慮が私をたまに包み込むことはあるけれど、こんな明確に死に対してあっけらかんと思ったことなんてなかった。
キキーッという音を立てて自転車を止める。赤信号に変わる。自動車が目の前を走り去る。
あれ、なんで今交通ルールを守ったんだろう? 不思議な気持ちになりながらも、当たり前かのように私は自転車を止めた。それは強い意志が働いたというよりも、いつもの癖で止めたような感覚だった。無意識下の行動だった。
「……おかしいなあ」
別に、死んでもいいと思ったのに。
ぽろぽろ、涙がこぼれていく。私ってこんな大人になりたかったんだっけ。どうして疲れた体を引きずって自転車に乗って帰宅しようとしているんだろう。どうして、明日のことを考えているんだろう。どうして、どうして、どうして、こんな大人になってしまったんだろう。
東京のはずれ、寒さは痛いほどではなくってただ頬を撫でるようなそんな優しい冷たさだった。突然に自分の生きている理由が解らなくなって戸惑う。青信号。自転車を押しながら歩く、歩道、自転車に乗る。
くるくると周るペダルはまるで東京に馴染めない私を笑っているみたいだった。
こんな風になりたかった訳じゃあない。それなら、どんな風になりたかったの? そんな自問自答をしたところで誰かに相談している訳でもあるまいし、答えは返ってこない。非情にもマンションに辿り着いて駐輪場で自転車から降りる。マフラーで隠れていて良かった。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだった。
ぐずぐずと鼻を啜りながらエレベーターのボタンを押す。重い足取りで部屋までの道を歩く。鞄の中を漁って鍵を探し出す。ガチャガチャ、音を立てて鍵を抜き差ししてようやく開けることができた。暖房を入れていなかったせいでひんやりとした空気の部屋に少し身震いをする。鞄を廊下に置いてパンプスを脱ぐ。揃える。リビングへの扉を開ける。
「つかれた」
あと何十年こんな生活を繰り返すのかな。