ミスター
YOASOBI
螢河隼
ショートヘアのプラチナブロンドの髪とアクアマリンの虹彩を持つアンドロイド・Chroーnoticー4、通称「クロノティカ」は古いラジオから流れる音を認識して起動した。それは博士が好んで聞いていた曲だ。二人で暮らすには広いとは言えない部屋だが、博士が居なくなってからは欠陥が生じてしまったかのような錯覚をおぼえる。クロノティカは汎用アンドロイドとは少し違い、博士にカスタマイズされたモデルだ。その影響か、AIには若干の問題があった。市販されているモデルは安定しているが、カスタマイズして一からとなると、膨大なデータを個人で記憶させるのは骨が折れるだろう。いつか、「大きな赤ん坊を育てるようなものだ」と博士が嘆いていた。叱られたことも一度や二度ではない。けれど、今のクロノティカが抱えているのはその頃とは違う欠陥だ。
「博士、どうしてでしょうか。貴方が居なくなって、どこか私は『おかしい』のです。欠陥が生じてしまいました」
広くなった部屋にクロノティカの声が響くが返事はなかった。クロノティカは窓から外の景色を観測する。ビル群は遠く煌めくけれどクロノティカは海の水光ほど美しい――厳密には一番気に入っている――ものを知らない。メンテナンスの記録をチェックすれば潮風がボディに障るのは明らかだったが、クロノティカは博士と過ごした海辺の家から離れることが出来ないままでいる。
「博士、どうしてでしょうか。揺らぐ、これがココロなのでしょうか」
クロノティカは答えがないことを理解していたが、問いかけをやめることが出来ずにいる。写真立てにはラウンドの眼鏡を掛けてお世辞にも似合うとは言えないドレスシャツとジャケットを着た、無愛想な博士の写真が飾られている。博士が滅多に写真を撮ろうとしなかったので、残されているのはその一枚だけだ。欠陥を埋めるために博士とのメモリーを瞳に投影する日々。人間で言うところの何年が経ったのか。博士が居なくなってからクロノティカは内蔵された時計とカレンダーのチェックを停止した。
「――博士! 海に入りたいです!」
「……駄目だ。お前のボディが海水で壊れてしまう」
いつか、クロノティカが危険なことだと気付かずに海に入りたがったことがあった。海が好きだという嗜好はクロノティカが『生まれた』と認識した時からインプットされていた。博士は頑なにそれを拒み叱ったが、クロノティカはそれが博士から与えられたものだと薄々勘付いていた。クロノティカにはモデルがいる。博士は愛した人を蘇らせたかったが、願望を叶えることで壊すことは出来なかったのだ。
「貴方がそうあれと望んだのでしょう?」
クロノティカは海に向かって小さく声を発する。
「貴方が居なければ私はいずれ故障してしまいます。時間の問題なのです。博士、教えてください」
博士は厳しく寡黙で不器用だったけれど、クロノティカは博士のひそかな優しさを知っていた。クロノティカは一度だけ見た博士の涙の理由を解析している。ラボで事故が起きて博士が動かなくなってしまった日の涙を。人間はそれを死と呼ぶのだろう。
「――ああ、博士。貴方ともっと過ごしたかった。もっと話したかった。もっと知りたかった。もっと……」
クロノティカの唇からとめどなく言葉が溢れていく。そしてクロノティカは知った。自身の心の揺らぎが『寂しさ』と『愛』なのだと。