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ラブレター

YOASOBI

螢河隼

 『志摩奏多』と出会ったのは居酒屋のアルバイトの帰りだった。花金をいいことに酔っ払いに絡まれて、普段煙草を吸わないからかヤニ臭さが目立つ髪に苛立ちながら疲れ果てた私がふらふらと帰路についていると、たまたまアパレルショップが立ち並ぶ、街から少し外れた道を通りかかった時に彼の歌声が聴こえてきて思わず立ち止まったのが始まりだった。初めて会った――見かけたと言った方が正確かもしれない――ときの彼は駆け出しのストリートミュージシャンで、まだ肝心なCDも出していなかった。いままでストリートライブなんて聞いたことがなかった私にとって、彼の耳慣れない言葉選びは新鮮で、アコースティックギターの演奏も彼の歌も荒削りではあったけれど私にはそれがとても魅力的に思えた。頭の中にあった鬱屈とした苛立ちがどこか遠くに飛ばされていく。演奏が終わっても暫くの間離れることができなくて、彼に声を掛けられて気づいた有り様だった。

「――あのさ……」

「……え、あ、はい!?」

「もう終わりだけど。……大丈夫?」

 心配されて、なんのことだろう、と考えていると、彼は私の頬に伝う涙を指差した。

「ほら、泣いてる」

 慌てて鞄の中からハンカチを取り出して、涙を拭う。そして、地面に置かれた帽子の中にお金が入っていることに気づいて、財布を取り出す。けれど私はこういう時に幾ら払えばよいのかわからなかった。とりあえず手に触れた千円札を帽子の中に入れる。

「ありがとう」

 彼は柔和に微笑みかけた。彼の音楽にその時確かに救われたのは私の方なのに、お礼を言われると不思議な気持ちになる。

「――あ……あの、CDって、ありますか」

「ごめん、環境整ってなくてまだ音源録れてなくて」

 申し訳なさそうに彼は言うと、名刺を差し出してきた。

「こんなものしかないけど。また聴きにきてくれると嬉しい」

「はい、また来ます」

 一礼をしてその場を立ち去る。次はいつ会えるだろうかと期待に胸を膨らませながら。

 

 二度目に彼と出会ったのは一週間後のこと。たぶん、バイトが終わった時間とストリートライブが重なるのが金曜日なんだろう。彼は前に私が来たときのことを覚えていて、歌を歌い終えると私に声を掛けてくれた。

「この間来てくれた子だよね」

 そう言って彼が差し出したのは、薄いプラスチックケースに入った、曲名しかわからない真っ白なラベルのCDだった。

「これって……!」

「家で作ったから不格好でごめん」

 よく見かけるような印刷のラベルのディスクではなくて、『待宵』とだけフェルトペンで手書きされていた。今すぐに聞きたい気持ちを抑えて、財布から三千円を取り出す。

「そんなに受け取れない」

「いいえ! 私が我儘を言ってしまったので、受け取って下さい」

 ストリートミュージシャンがいくらでCDを出しているかはわからないし、本来ならもっと環境を整えて見栄えを良くするのかもしれない。けれど、私は何としてでも手に入れたくて仕方がなかった。

「……わかった」

 ようやく彼は頷いて、お金を受け取る。

「大事にします」

 鞄の中にCDケースを入れて、一礼をした。次に来たときはファンレターを認めよう、そんな想いを胸に秘めて。

 

  家に帰ると早速CDを鞄から取り出して、パソコンを起動した。すぐに聞きたかったのもあるけれど、データとして保存したかったし、スマートフォンでも聴けるようにしたかった。CDに書かれた文字から、『待宵』がタイトルなのだろうと察せられた。ケースの裏面を見ると、春暁、驟雨、彩虹、霽月、待宵とある。難しい言葉が多くて、意味を調べるのに苦労してしまった。シングルよりは曲数が多いけれどアルバムと呼ぶほどの曲数はない。どうやら、これはミニアルバムと呼ばれるものらしい。待宵も曲名なのだろう。大抵は演奏する前に曲名を告げるのだけれど、聞いたことがない曲名だった。このために用意した新曲なのかもしれないと思うといても立ってもいられなくなった。CDを挿入する手が震えてしまう。パソコンに取り込んで、スマートフォンに転送する時間が惜しくてそのまま聴き始める。すべてを聴き終えた私は机の引き出しからレターセットを取り出し、ボールペンを手にした。『志摩奏多』のファンとして伝えたいことは山ほどあるのに、綴れば綴るほど、もっともっと伝えたくなる。彼の歌に触れることで勇気が湧いてきたこと。鬱屈とした感情から解き放たれたこと。初めて聴いた曲が私の心を動かしたこと。救われた人間が確かにいること。ずっと寄り添っていたいこと。言葉にまとまらなくて、手紙を書くことがこんなに難しいなんて思ってもみなかった。気づけば便箋は三枚を超えていて、気持ち悪くなっていないかという考えがよぎる。けれど、ありのままを伝えたかった。上手く渡せるかは不安ではあるけれど。

 

 ファンレターを渡せたのは次の週のこと。演奏が終わってから手渡すとその場で志摩さんは読み始めた。顔を赤くして手紙を読み終えると手で口元を押さえた。

「これってファンレターって言うより……」

 照れられてしまうと、私も居心地が悪くなってしまう。

「あ、ええと、すぐ帰ります……」

「――あっ、迷惑なわけじゃないから、こういうの初めてで。嬉しいよ」

 少しでも私の想いが伝わってくれたのかもしれない。けれど、『志摩奏多』の新曲が彼なりのラブソングだと知るのはもう少しあとの話。

螢河隼

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