だから僕は音楽を辞めた
ヨルシカ
星伊香
パイプオルガンの音に合わせて無意識に動く指に気付き、こぶしを握る。
「新郎新婦の入場です!」
司会の声を合図に後方の扉が開き、遥と知らない男がチャペルに入ってきた。同級生たちがスマホを向け、新郎側の友人がヤジを飛ばす。遥は真っ白なウエディングドレスに身を包み、あの頃と同じ顔で笑っていた。
遥の結婚式の招待状が実家に届いている、と母から電話が来たのは三ヵ月前だった。
『あんたの今の住所分からないからって、わざわざ連絡くれてねぇ』
母はそう言ったあと、付け足すように『遥ちゃんもとうとう結婚するのねぇ』と零した。
『で、どうすんの? 出席で出しといていいわよね?』
「あー……いつ?」
『三月十六日の土曜日だって。あら? その日って確か遥ちゃんの誕生日じゃなかった?』
「……そうだっけ?」
嘘だ。本当は日付を聞いた瞬間に、気付いていた。
五年前のその日に自分が上京したことも。
『そうよぉ、確か。じゃあ絶対出てあげなさいよ。遥ちゃんすっごくキレイになったのよ?』
「へぇ」
『昔からかわいかったけど、女の子ってのはすごいわよねぇ。その点、男の子はダメね。小さい頃はお母さんお母さんってついてきた癖に、大人になると家に寄り付きもしないんだもの』
いつもの小言が始まった。スマホを耳から離し、テーブルの上に置く。
母は声が大きいのでスピーカーにする必要は無い。それに、例え聞こえなくても問題無いような話ばかりだ。実際今も、薬局で同級生を見かけたとか、帰ってきたら庭先の手入れをして欲しいとか、どうでも良いような話を一人で続けている。
『あ、そうだ、あんたは結婚の予定ないの? いつまでも東京でフラフラしてないで、暇ならこっち帰ってきて……』
「忙しいから切るよ」
一方的に喋りつづける母を、頭の中から追い出すように電話を切った。そのままベッドに倒れ込み、目を閉じる。
瞼の裏に写るのは、最後に見た遙の困ったような笑顔だった。
あの日、駅まで見送りにきた遥は「頑張ってね」と言った。
だけど東京に暮らしてもう五年。
思い描いていた夢は一つも叶わず、今は東京で派遣社員として働いている。
今の僕には何も無い。
上京した最初の頃は、全てが新鮮で楽しかった。野心も信念もあった。むしろそれ以外は何も無かった。
対バンでトリを務めるバンドに憧れ、嫉妬し、そんな彼らでさえインディーズから出られないという事実に打ちひしがれ、デビューを諦めたというバンドの「メジャーでは好きな事がやれない」という話を鼻で笑い、自尊心を満たす。地元で活動していたときと、やっている事は大きく変わらない。だけど地元のライブハウスで演奏していた時より、ずっと夢に近付いた気がしていた。
あの頃の僕は、無知で夢見がちな「どこにでもいるバンドマン」の一人だった。
そんな僕らでも、活動していれば誰かの目にはとまる。ファンが一人もつかないアイドルなんかいない、とはよく言うが、バンドだってそうだ。ライブを繰り返しているうちに少しづつ動員は増えていったし、フォロワーも増えた。
そうして人気が出てきた僕たちのバンドに、小さなレーベルからDMが来た。
「……マジ?」
メンバー全員でスマホの画面を覗き込む。そこには簡単な挨拶と共に、今度ライブを見に行くと書かれていた。
「でもさ、こんなとこ聞いた事なくね?」
「確かに。所属料とかとられたりしそう」
「マジ? 俺金なんかねぇよ?」
「出世払いとか出来ないのかな?」
「いいじゃん、俺たちで有名にする位の気持ちでやろうぜ!」
「まだDM来ただけで所属させてもらえるかも分かんないじゃん」
「いけるって! 最近ノってきたし、ビビる必要ないって」
有名なレーベルじゃないとか、所属アーティストの中に知ってる人が居ないとか、どうして星の数程あるバンドの中から僕らが選ばれたのかとか、疑問はたくさんあった。だけど元々「地元で人気があったから」というだけで東京に出てきた僕らに、計画性なんてものはない。
怪しかろうがなんだろうが、チャンスはチャンスだ。
「デビューするためにさ、まず百曲位ストック作ってくれる?」
担当者だという半田は、何度目かのライブの後にそう言った。
半田はいつもスーツ姿でライブに来ていた。サラリーマン然とした姿は、ライブハウスの雰囲気に全く合っていない。
「えっと、それはどの位の期間で……」
「そうだなぁ、半年位?」
半田はさらりとそう言った。言葉を失う僕に、メンバーからの視線が集まる。
半田は何かを理解したように「あぁ」と零した。
「できない? できないんだったらいいんだよ。本気でやってるバンドはいくらでもいるしさ」
嘲笑を含んだ声音で言われ、悔しさから拳を握り込んだ。
バンドの人気が出てきたと言っても、別にそれだけで生活できるようになっていた訳じゃない。チケットが売れたところでノルマ分を引いたら残るのなんて微々たるもの。メンバーで割ったら、正直ボランティアに近いような額しか残らない。
だけど、だからこそバンドで食えるようになりたかった。
「やります」
選択肢なんかあるわけがない。
元々作曲は好きだった。
自分の作った曲に歌詞をのせると、自分の感情を全て吐き出しているような気持ちになった。遙の事を歌詞にしたのも一度や二度ではない。女々しいと言われようが、僕にとって大事な事だった。直接伝えるには、僕らの関係は近すぎた。
だけどバンド内に曲を作れる人間は僕しかいない。今までと同じペースでは、とてもじゃないけど間に合わなかった。拘る余裕はない。
売れ線を意識した曲に、どこかで聞いた事あるような歌詞をのせ、それっぽく仕上げる。作曲というより、パズルゲームに近い作業だ。
作曲は作業になり、メンバーに苛立つ事も増えた。なんの為にバンドを続けているのか分からない。苦しかった。辞めたくなった。だけど僕らの夢の為にも、諦める訳にはいかない。
そうして百曲全て作り終えた時には、僕は抜け殻みたいになっていた。自分の中にあった音楽への気持ちも、全て吸い取られてしまったみたいだ。達成感よりも、安堵と徒労感が勝った。
だけどそこまで身を削った結果、会社が契約したのはボーカルだけだった。
後で聞いた話だが、元々そういう予定だったらしい。
円卓を離れ、一人喫煙所へ向かう。
いちいち流れるラブソングは幸せな歌詞ばかりで耳に痛い。心の中で「つまんない曲」「無難なだけ」とどれだけこき下ろしても、メジャーに行けなかった自分はそれ以下だったんだと思うと、悪態をついた分が全てが自分に返ってきた。
いつの間に、僕はこんなに音楽が嫌いになってしまったんだろう。
あの時上京せず地元に残っていれば、もしかしたら遙の隣には僕がいたかもしれない。音楽を嫌いになる事もなかったかもしれない。何度もそう思った。だけど間違っているなんて思いたくない。誰かに「あの選択は正しかった」と言ってもらわなければ、叫びだしてしまいそうだった。
遙のあんな幸せな姿を見なければ、こんな風に劣等感に苛まれる事も無かったのに。音楽を始めた理由も、思い出さなかったのに。
煙草の煙が目に染みる。
結婚式なんか来なければ良かった。