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負け犬にアンコールはいらない

ヨルシカ

藤田当麻

 

『なんでやねん!だから言うたやろ!はい、ありがとうございました〜!』

液晶の向こうで、目が痛くなるほどの光と耳を割るような歓声。見ているだけで嫌になるような光景が、真っ暗な部屋を染めている。何日連続か分からないカップ麺を啜る。違う物を、と欲する体を無視しながら作業のように飲み込んでいる。これが終わったらまた眠るだけだ。俺は目を閉じる。何年も前の光。

 

「なぁ、ヨシダ、おれとコンビ組んで漫才やろ!」
高校最後の文化祭前だった。親友のタカハシはいつものおちゃらけた様子でそんなことを言い出した。勢いだけの提案を俺は鼻で笑った。
「はぁ?やらねぇよ、あと二か月しかないのに漫才とか……それにおまえつまんねぇし恥かくだけだろ」
「そこをなんとか!」
タカハシは丁度直角みたいに頭を下げながら、俺に右手を差し出した。
「こんなバカ付き合ってくれるのお前しかいない!ヨシダ、お願い!」
クラスのはみ出し者みたいな俺たちが、高校の文化祭で漫才をやるなんて恥知らずにも程がある。しかし、俺はタカハシの懇願に左手を伸ばしていた。

 

漫才なんてやったこともなかった。お笑い番組はやっていれば見るくらいだったけれど、ネタの研究なんてしたこともなかった。タカハシもそうだったらしい。二人でその時流行っていた漫才を見て、ネタを書いた。芸人のしゃべり方や動きを放課後練習した。俺たちは完全に素人で模倣品でしかなかったが、タカハシは楽しそうだった。毎日「練習しようぜ!」と声を掛けてきたし、休みの日もほぼ毎日会って練習をした。
「なぁ、なんで漫才やろうと思ったんだよ、バンドとかの方が、ウケいいじゃん」
「だって、おれのとりえって勢いと面白さくらいしかないじゃん?一発決めようと思ったらお笑いしかないなって」
「じゃあ一人でやれよ」
「え~誰かに側にいてほしいじゃん、相方ってヤツ?欲しいじゃん」
俺は溜息をついた。タカハシは教室の隅にいる俺とは違い、明るくてお調子者ポジションにいれるような陽気なやつだ。入学直後に俺の隣にならなければ二軍くらいにはなれたはずなのに。親友、と呼んでも、俺はタカハシが一緒に隅にいるのがよくわからなかった。

 

文化祭はあっという間にやってきた。
特技紹介のコーナーで発表された俺たちは、前のバンドの大盛況に怯えながら発表を行った。
「どうも~タカハシとヨシダ、二人合わせてタカシだ!です!よっすタカシ!」
「タカシってだれやねん!」
二か月もない練習と、ど素人の中身スカスカの漫才は全くウケなかった。ウケてないことが分かるとネタに集中できなくなっているのがわかった。タカハシのボケは勢いもあってかクスクス聞こえたけど、俺の足はずっと震えていた。「ありがとうございました」と言ったあとにパラパラ聞こえる拍手に背を向けて、俺たちの文化祭は終わった。

 

「全っぜんうけなかったなぁ!」
「だから言っただろ、恥かくだけだって」
「でもさぁ、おれ、超楽しかったよ」
タカハシは立ち止まる。夏の近づく夕焼け空を眺めながら、ポツリと漏らした。
「なぁ、俺、芸人目指そうかな」
「……あんなに滑ったのに?」
俺は正直、もう人前に立ちたくもなかった。少し掘り返すのも嫌になっていたくらいだった。タカハシはグッと背伸びをして、空を見たままいつもより真面目な声を出した。
「ウケなかったけどさ。おれ初めて何かに真面目に打ち込んだかもしれない。勉強も他のこともなーんも上手くなかったけど、これは本当に楽しかった!今度は笑わせてやる、って気持ちもある」
タカハシは俺を見て笑った。俺はもう嫌だった。そんな顔で俺を見ないでくれ、そんな顔見たくない。
「ヨシダもさ、一緒に養成所行ってさ、お笑いやろ!」
「……現実見ろよ」
俺は今までに出したことのない声をひねり出した。今日の怖さや恥ずかしさが波になって襲ってくる。
「お笑い芸人なんて、日本だけで何人もいるんだよ、今日ウケなかったの分かっただろ!俺たちつまんねぇんだよ!……俺は普通に進学する。お前も現実的な進路選べよ」
タカハシは少しだけ泣きそうな顔をして、呟いた。
「お前は楽しくなかった?」
「……つまんなかった」
タカハシは「そうだな」とだけ言った。言い過ぎたかもしれないと思ったけれど、元々底辺みたいな気持ちだった俺に、謝罪したり取り繕ったりする元気はなかった。
タカハシは次の登校日にはいつも通りになっていたけれど、漫才の話は二度としなかった。完全に関係は戻らないまま受験期に入り、卒業を迎えた。俺は東京の大学に進み、タカハシは地元の大学に進学することになった。
「また会おうぜ!」とタカハシは笑っていたけれど、俺はもう二度と会わないだろう、と思った。

 

上京した俺は、大学を経て進学した。就活は厳しかったが、なんとか職に就き、恋人ができた。でも根の暗い俺はとことん社会に向いてはいなかった。
「ヨシダくんさ、ここ、また間違ってるんだけど」
「すみません」
毎日会社で怒られ続けた。周りの視線が痛かった。
「ヨシダはさぁ、本当なんもねぇよなぁ」
すみません、と呟く。やっぱり俺は何も出来ないんだと思い知った。


「好きな人ができたの。ごめんね」
大好きだ、愛していると言っていた恋人は浮気をしていた。
あの時も、その時も、俺はヘラヘラしていた。笑うことしかできなかった。

 

気がついたら、全てから逃げてこの部屋に引きこもっていた。ぎりぎりの貯金が少しずつ減っていくのに怯えながら、それでも俺は呼吸だけしていた。

ダメだと分かっていた。でも俺には後悔と目の前の真っ暗な闇しかなかった。暗い部屋で、もしかしたら選ぶべきだった世界を見つめている。負け犬みたいだ。本当に。

何周も観たお笑い番組が終わる。時計は20時を過ぎたところだった。
るには早いが、やることもない。床に敷いた布団に転がったとき、スマホが鳴った。『タカハシ』と表示された画面に、一瞬固まる。何年も連絡は取っていなかったはずの名前。俺はおそるおそる電話に出た。

 

「……タカハシ?」
『ヨシダ!久しぶり!俺今東京にいるんだ!明日会おうぜ!』
タカハシだった。7年ぶりに聞いてもタカハシだと分かった。
「なんで、お前」
『俺さ、あの時の夢諦められなかったから、仕事辞めて上京してきたんだ!俺もう一回お前と立った舞台に挑戦したいんだよ』
高校時代のあの景色がフラッシュバックする。もし、もしタカハシと二人で立ったあの舞台にもう一度挑戦できるなら。

 


『俺、いろいろ考えたけど、現実的で真面目で几帳面でしっかりしてるヨシダに側にいてほしいな、って思って電話掛けたんだ。もう一度俺とコンビ組んで漫才やろ!』


 

俺は黙っていた。こんな俺をタカハシが見たら何て言うだろう。今の俺は、少しもタカハシの描いていた俺ではない。
『ックシュン!うわー東京って風寒いな、野宿しようと思ったのに無理そうだわ』
「は?外にいるのかよ。12月だぞ今」
『飛び出してきたからホテルとか取ってないんだよな!』
「お前いまどこにいんだよ!」
俺はふとんを投げ捨てて、寝間着を脱ぐ。しわになっていないシャツと、ジーパン、ダウンジャケットを着ながらタカハシの危機感のない笑い声を聞いていた。まだ迷ってる。俺はタカハシの返事に何て答えよう。でもとりあえず会いに行かないといけない。
財布とスマホ、鍵だけを持って飛び出す。

次は、アンコールを貰えるような、そんな舞台を夢見てもいいだろうか。

藤田当麻

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