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線香花火

ガガガSP

星伊香

 

 寝苦しさで目を覚ました。顔をしかめつつスマホの画面を見ると、まだ二十二時だった。仕事から帰ってきて、そのまま疲れて寝ていたらしい。
 気怠い体を起こしベランダを開けると、ひゅうっと生ぬるい風が部屋に吹き込んできた。汗を引かせる程ではないものの、昼間よりはいくらか涼しい。エアコンの室外機の上に腰掛け、ポケットの中でくしゃくしゃになっているマルボロに火をつける。真夏の夜に、赤い明かりが灯った。
 駅徒歩二十分のボロアパート。住み心地が良いとは言えないものの、ベランダからの景色は悪くない。家賃三万円という金額ももちろん魅了的ではあったが、窓を開けると広がる河川敷はそれ以上の安心感を与えてくれた。東京に憧れて出てきたのに田舎を求めるだなんて、未練がましいとは思うけれど。
 虫の声に混じって、遠くから笑い声が聞こえてくる。大方、高校生か大学生が河川敷で花火でもしているんだろう。そんなことを考えながら吸い込んだ煙を、ため息交じりに吐き出した。八月も今日で終わりだ。蝉の声に負けじとはしゃぐ男女に、いつかの自分を思い出す。
 高三の夏、俺は無気力だった。
 部活も引退し、無罪放免とばかりに与えられた夏休み。最後の夏を満喫しようにも、大会が終わった先に待っていたのは受験勉強だった。受験を無視出来る程勉強が出来る訳でもない上に、息抜きしようにも遊び方が分からない。中高と部活ばかりやってきた俺に、今更夏をどう過ごせというのか。
 そうして受験生にとって重要である時期をダラダラと消費していた夏休み最終日、美希から突然メールが来た。
『今から花火しない?』
 通知文を見て、掴んでいたプレステ2のコントローラーを放り投げる。
『他に誰か来んの?』
『誘ってないけど、誰か誘いたい人いるなら誘っていいよ』
『何時?』
『二十時に四小の前にしようよ』
『花火は?』
『この間甥っ子が来た時に置いてったのがたくさんあるんだよね。チャッカマンだけ欲しいかな』
『りょ』
 散らかった勉強机の奥深くから、いつか買った香水を引っ張り出して振りかけた。服を引っ張って嗅いでみるも、匂いがするのかしないのかなんだかよく分からない。結局香水を付けている事にも浮かれている事にも気付かれたくなくて、家を出る前に服を着替えた。
 なるべく汗をかかないようにゆっくり自転車に乗って小学校に向かうと、美希は大きなビニール袋を手に一人で立っていた。Tシャツに短パン、足下はビーチサンダルという軽装で、髪は高い位置でポニーテールにしている。
「おつ~」
 美希はへらりと笑い、俺に駆け寄った。ポニーテールがゆれて、ふわっとシャンプーの香りがする。
「こういうの久しぶりじゃない?」
「こういうのって?」
「花火するのとかさ。中高はお互い部活で忙しかったじゃん」
 美希はそう言うと、八重歯を見せてへへへと笑った。そういえば、こうやって話すのはいつぶりだろうか。
「お前んとこはどうだったの?」
「金賞取ったよ。ダメ金だったけどね」
「ダメ金?」
「吹奏楽は金賞とっても次の大会に進めない事もあるんよ」
「へー」
「悔しいけど仕方ないよね。頑張ってたのは他の高校だって同じだもん」
 大人びた顔で大人びた事をいう美希は、学校で見るより綺麗に見えた。いつもより汗をかいている気がする。部活中は汗をかくのを気にした事もないのに。
「あっちぃ!」
 足に落ちた煙草の灰を振り落とす。ぼんやりしていたせいで、いつの間にか燃え尽きていたらしい。もう一本吸おうと煙草を探すも、箱の中は空っぽだった。舌打ちをして、部屋の中に戻る。着ていたスーツを脱いで放り投げ、洗濯したまま積まれている服の山からTシャツと短パンを拾い上げた。クロックスを履き、部屋を出る。
 ただ二人で花火をして、下らない話をして帰ったあの日。俺は気の利いた事も言えず、花火に照らされる横顔をただ見ていた。
「花火、もう終わっちゃったね」
「これは?」
「あ、線香花火だ」
 黙ったまま、二人でぱちぱち燃える火の玉を見つめる。
「彼女とか出来た?」
「は?」
「晴樹って後輩にけっこう人気あるんだよ」
「そんなん言われた事ねーよ」
「話しかけにくいんだって。でも引退したし、告白とか、されるんじゃない?」
 お前はどうなんだよ。という言葉は、口から出ずに飲み込まれた。
 これが終わったら夏が終わる。そう思ったと同時に風が吹き、最後の線香花火の火種が落ちた。
「……終わっちゃったね」
 美希がこちらを見る。水分を含んだ目が、俺を見た。咄嗟に目をそらす。
「帰ろうぜ」
 しばらくの沈黙のあと、視界の端で美希が動いた。美希の方を見ないまま、花火のゴミを片付ける。


 コンビニの明かりは眩しく賑やかだった。やる気のない店員から煙草を買い、また河川敷に戻る。人がいないのをいい事に煙草に火をつけると、大きく吸い込んだ。
 東京へ進学し、志望していた企業に入った。忙しいながらも自由な生活をしている。だけど思い出すのはあの日の揺れるポニーテールや、幼さを残す低い鼻と丸い頬、笑うと垂れる目元ばかり。


 ぶら下げた指先には、今日も赤い火が灯っている。

星伊香

​星伊香@hoshiika_yuri

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