アイドル
YOASOBI
濱田ヤストラ
「あー……この番組も面白くない……」
姉さんがそう言って、チャンネルを変える。
そんなに毒づくなら、そんなにチャンネルを変えるなら、部屋で一人静かに動画でも見ていてくれないか。
だって、さっきのチャンネルには、僕の大好きなアイドルが映っていたんだから。
「姉さん、チャンネル権」
僕が声をかけると、姉さんはああ?と不機嫌な様子でこっちを振り返った。
僕は、姉さんの手に握られたリモコンを奪い取ろうとした。
でも、リモコンは僕の手に取られまいとひらりひらりと逃げていく。
「姉さん!」
思い余って声を上げてしまった。
姉さんは少し驚いて、でもすぐにはは、と笑った。
「何、アンタさっきの番組面白いって思ってんの?」
ただのドッキリじゃん、ありきたりな内容のさ。
姉さんのその言葉に、僕は言葉を詰まらせた。
ドッキリがどう、とかそういう問題じゃない。
僕は、僕は――。
「あーつまんな。もういいや。はい、これ」
そう言って姉さんはテレビのリモコンを渡してくれた。
じゃあねー、と部屋に去っていくその背中はとても寂し気だった。
僕は疑問に思いながら、渡されたテレビのリモコンでチャンネルを戻す。
「あははー、騙されちゃいましたー」
笑いながら言う、僕の太陽。
ああ、誰よりも、何よりも好きだ。
彼女はそう、僕の中のナンバー1アイドルだ……。
* * * * * *
あんなテレビ、吐き気がする。
何よ、あいつあんな女が好きなのか。
アイドルが、特にあの女が出ている番組ほど、私の中で面白くない番組はない。
……なぜなら、私は元アイドルだからだ。
いわゆる地下アイドル、メディア進出もできていない存在。
似たような服をお揃いで着て、周囲と寸分狂わないダンスを踊り、歌う。
私達には、個別の客に媚びる方法がないと思っていた。
アピールするために、決められた隊列を乱すことは許されない。
しかし、彼女は違った。
赤坂小麦。
超絶弱小事務所であるうちの所属アイドルの中で、彼女の輝きは異彩を放っていた。
初めて知った。
彼女はそう、まさに、完璧だった。
視線、笑顔、その動きは指先、足先までも計算されつくしていた。
おまけにトークコーナーでの的確な答弁。
どうして。
どうしてここまで、完璧であれる。
私には、見当すらつかなかった。
やがて、小さな箱でしか歌い踊れなかった彼女をカメラが捉え始めた。
舞台の上ではすでに、彼女にだけスポットライトが当たっていたのは周知の事実だった。
彼女は頭一つ、いや、群を抜いて、輝いていたから。
ただ、彼女だけがスターダムに上り詰めていく姿を、私達他のメンバーは指をくわえて見ているしかなかった。
悔しかった。
正直、信じたくなかった。
私達だって、精いっぱいやっていた。
嫌な客への媚び売りだって、厳しいダンスや歌の練習だって。
たくさん、たくさんしていたのに、彼女には誰一人敵わなかったなんて。
……結局、私は引き立て役その1だったのね。
ハハ、適役じゃない、本当バカみたい。
それ以降、私は家から出られなくなってしまった。
学校なんてアイドルになる前に辞めてしまっていたし、そもそも何もする気になれない。
事務所から来ていた連絡も、日が経つにつれ減っていった。
その後、私がグループを卒業した事になっていたのを、ホームページで初めて知った。
事務所からの最後の連絡は、契約の破棄の連絡だった。
郵便で送られてきた書類に、私は思わず笑ってしまった。
いよいよ私、必要なくなってしまった。
私がそんな状況に陥る一方、小麦はどんどんトップアイドルへの階段を上って行った。
メディア露出も激しく、テレビや雑誌はもちろん、ソロコンサートやファッションショーのゲストモデル、映画出演にCM出演など、様々なところで彼女を目にするようになった。
そして、私の弟が彼女の虜なわけだ。
まぁ、分からなくはない。
彼女のファンサービスの完璧さはどんどん磨かれているし、様々な番組や雑誌インタビューでの答弁も何の危うさなく見ることができる。
いわゆる、優等生的回答である中に、天然のようで計算されつくしたボケを織り込んで。
おまけにいくら身辺を掘り起こしてもスキャンダルが全くない、という完璧さ。
そりゃいろんな媒体で重宝もされるわ。
* * * * * *
僕は、今最高に感動している。
彼女は、赤坂小麦は、今日も最高に可愛かった。
あの輝く瞳も、綺麗に弧を描く口も、長いまつげも、長い手足も、適度にある胸も、くびれた腰も、天然なところも、ところどころしっかりしてるところも。
全部全部、いつ見ても最高なのだ。
本当に、こんな女の子が恋人だったらどれだけ嬉しいだろうか。
……まぁ、そんなのは夢のまた夢なんだけどね。
「おーい、口元緩んでんぞ」
ふと声をかけられて、思わず背筋がびくっと跳ね上がった。
振り返ると、そこには無表情な姉が立っていた。
目が合い、少し気まずくなって逸らすと、動物だと負けだぞー、と言われた。
なんなんだ。
なんでこんな野蛮な言葉を遣う人間が。
この姉が、元アイドルなんて信じない、僕は信じないぞ。
すると、姉はこう呟いた。
「……アイドルなんてね、騙してナンボなのよ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声。
一体その言葉が誰に向けての言葉だったのか、僕には図りようがない。
その後、じゃ、おやすみ、と部屋に向かって消えていく背中は。
さっきの何百倍、何億倍も寂しそうだった。