正しくなれない
ずっと真夜中でいいのに
星伊香
ミユと初めて出会ったのは大久保公園だった。
「ここで何してんの?」
ミユは中央にクマが大きくプリントされたオーバーサイズのパーカーを着て、つやつやの黒髪をハーフアップツインにまとめていた。服も靴もメイクもばっちり決まっている。視線を下げると、私の汚れたスニーカーが見えた。
「べつに、なんも……」
「ここウリやるとこだよ?」
「知ってる、けど」
ミユは同い年位なのに東京っぽくて可愛くて、私よりずっと大人に見えた。お母さんに買ってもらったTシャツとジーンズのミニスカート姿でここに立つ、場違いな自分が恥ずかしい。
ミユは煙草に火をつけると、先端で私を差した。
「じゃあここ居ない方がいいって。処女でしょ?」
「しょ、処女じゃないし」
「ふーん?」
「元カレと、何回かした事あるし」
「何ソレ。処女みたいなもんじゃん」
そう言ってミユは口元だけでへらりと笑い、無言で俯く私の手を取って「こっち」と歩きだした。そして慣れた様子でトー横の人の輪に入り、人が一番多い場所の中心にいた男の人の前に私を押し出す。
「拾った。飼っていい?」
男は短くなった煙草をもみ消し、値踏みするような目で私を見た。ちらりと除く舌が青い。
「はー? やめとけって芋くせぇし」
「ちゃんとルールは教えるから。ね? ハルちゃんお願い!」
「んー、まぁ勝手にすればぁ?」
ハルちゃんと呼ばれた男は、私を見てバカにしたような顔で笑った。ハルちゃんだけじゃない。トー横に居た人達から送られる視線は、決して好意的なものじゃなかった。
そりゃそうだ。だって、私みたいなダサい格好をした子は一人も居ない。ダサいのは罪だ。恥ずかしい。
だけどミユはなぜか私に優しかった。泣きそうな私の頭を撫で「そんな不安そうな顔しないでよ」と言って笑う。
「名前なんていうの?」
「えっと……」
「あー、いい。私が飼うんだもん。名前つけてあげる」
ミユは少し考えこむようにしたあと、ぱっと顔をあげた。
「ミィ。ミユから一個とって、ミィね!」
***
ミユのおかげでトー横にはすぐに慣れる事が出来た。
最初は嫌な目で見られることも多かったが、ミユが連れてきたと分かるとみんな良くしてくれた。
男の人は大人もちらほら居たけど、女の子は大体みんな同い年位だった。中にはどう見ても年下なのに「十八だよ」と言い張る子なんかもいた。
だけど本当の年齢なんか、正直どうでも良かった。みんなの本名も知らないし、どこから来たのか、なんでここに居るのかも知らない。たまにメンブレしてそういう話をする事はあったけど、そういう時にした話なんかいちいち覚えてない。
私達は昼間はトー横で過ごし、夕方から夜になると大久保公園に立った。
初めての日はミユと二人でセットで買ってもらった。そういう事をしているのをミユにみられるのは死ぬほど恥ずかしかったけど、ミユが一緒だと安心できた。それにこんな事してるのは私だけじゃないと思うと、許された気にもなった。
メイクもウリも警察からの逃げ方も万引きの仕方も、ミユが全部教えてくれた。ブロンをキメる事も、ストロングの不味さも、全部。そして朝になるとマン喫で寄り添って寝た。毎日がお祭りみたいで楽しかった。一週間もたてば私はすっかり以前のダサい私から、トー横にふさわしい「ミィ」になった。
だけど私がトー横に来て三週間くらいたった頃、突然ミユが居なくなった。
ミユは「稼いでくる」と言ったきり、帰ってこなかった。
大久保公園を何往復しても、ずらりと並ぶ女の子達の中にミユは居ない。外人のエリアまで足を伸ばしたけど、そっちにも居ない。ミユがよく使うホテルと大久保公園の間を行ったり来たりしてみたけど、やっぱり見つからない。
急いでトー横へ行くと、ハルちゃんはいつものように輪の中心で、青い舌をチロチロ見せながら笑っていた。
「ミユが居ないの」
そう言った私に、ハルちゃんは「えー?」と言って、いつものようにヘラヘラと笑った。
「昨日から戻ってきてないの。どうしよう、なんか巻き込まれたのかも。一緒に探してよ。歌舞伎詳しいんでしょ?」
ラリって目の焦点が合わなくなってるハルちゃんの肩を掴んで揺さぶる。
苛立ちはじめた私に、ハルちゃんはトロリとさせた目のまま手を差し出した。
「てかさぁ、今日の分は?」
「は?」
「今日の五千円。まだもらってなくね?」
絶句する私に、ハルちゃんは「五千円」と繰り返す。
「だって、ミユが……」
「それとこれは関係ねぇじゃん」
「……無いよ。今日はミユ探してたから売ってないもん」
そういうとハルちゃんは目をつり上げ、私の胸ぐらを掴んだ。
「無いじゃねぇよ!」
「だ、だって」
「全員払ってんだよ! お前だけ払わなくていい訳ねぇだろ!?」
足が震える。助けを求めるように、周りを見た。だけど周りの子たちは私の事を無感情な目で見ているだけで、助けてくれそうにない。
初めてここへ連れてこられた時と一緒だ。
「わか、った。分かったから。今からどうにか探してくるから、はなして」
そう言うと、私はあっさり解放された。逃げるように大久保公園へ向かう。
泣きそうだった。ここへ来て、初めて家に帰りたくなった。
居場所のない教室。炊きたてのご飯。殴るお父さん。あったかいお風呂。見ない振りのお母さん。清潔なベッド。
出てきた理由と帰りたい理由が交互に頭の中を巡る。
本当はおじとセックスなんかしたくない。汚いのも寒いのも嫌だ。もう家に帰りたい。帰っちゃおうかな。まだ終電はある。電車はキセルで帰ればいい。
心が折れる寸前に、初めて体を売った日のことを思い出した。
「おじとヤってあげるのなんか、ボランティアみたいなもんだよ」
「ボランティア?」
「若いうちだけじゃん、こういう事出来るのってさ」
「でも十八歳になったらキャバクラでも風俗でも働けるよ?」
「ばかだなぁミィは。今は一万五千円全部自分たちがもらえるけど、店に所属したら半分くらいもってかれるんだよ? でもハルちゃんだったら、何人相手にしても一日五千円で済むじゃん」
「……確かに」
「でしょ? ゴムしてれば病気も妊娠も大丈夫だし、減るもんじゃないし」
「うぅ、でもやっぱやだよぉ……」
ミユは少し考えたあと、私の頬を両手で掴んだ。
「ねぇ、ミィ」
「な、なに?」
「ミィはさ、うちの事好き?」
「え、ぁ……うん。好き、だよ?」
「じゃあ、ガマンしたあとはうちがちゃんとご褒美あげる」
ミユはそう言って、私にキスをした。おじとするのとは違う、触れるだけのキスだった。
ミユが笑う。
「同じ地獄なら、うちがいる地獄の方がいいでしょ?」
と。
零れそうになった涙をふく。
大丈夫。ミユは帰ってくる。帰ってこないかもしれないけど、可能性があるならここに居るしかない。
体売るのなんかなんでもない。ボランティアだし、若さを有効活用してるだけ。ミユがそう言ってた。だから私は間違ってない。正しくないのかもしれないけど、こうするしかないから仕方ない。そうしないとここに居れないから仕方ない。
顔をあげ、私は大久保公園へと歩き出した。