ラブホテル
クリープハイプ
無名紡戯
ショウと出逢ったのは友人の誘いに乗った飲み会だった。遊んでそうだな、と真っ先に思ったけれど、不思議と話は合った。
「マナちゃん俺と同い年なのに、働いてるからかな、年上みたいに感じる」
短大を出て働いている私と、学生最後の夏を満喫するのだというショウ。同い年なのに、青春を謳歌しているショウは眩しかった。
その日は暑かった。夏の始まりの夜なのに湿気で溺れそうなほどじっとり暑くて。駅に近いビジネスホテルはクーラーの温度調整が自分でできないから暑くても寒くても我慢する必要があって、少し嫌だった。ショウは、私が終電を逃したことを話すと人懐っこく笑った。
「マナちゃん、あそこ泊まろうよ。二人で割ったら安いし」
指さされた先の、お城みたいなホテルの正体を知らないほど子供じゃない。けれどショウは私を安心させるように笑う。
「大丈夫、何もしないよ。涼しいところで寝たいけど、安く済ませたいだけ」
軽い女と見られているんだろう。けれど、その日は暑かった。連絡先だけ交換して別れるという選択肢は酔っている頭では思いつかない。だから、
「……そう」
その手を握り返した。一〇三号室のベッドとシャワールームだけがある殺風景なのにどこか雰囲気がある部屋にエスコートされながら、私は軽い女なのかもと自嘲した。
結局その夜は本当に手を出されなくて、面倒をみられてるうちに眠ってしまった。けれど、朝にまんまと抱かれた。安心しきっていたから抵抗の間もなく体を許して「そんなつもりじゃなかった!」とガラガラの喉で叫ぶ私にカラカラと笑いながら、「だって寝起きのマナちゃん可愛かったから」と甘ったるく言われた。それで許してしまう自分に一番驚いた。酔いは覚めてるはずなのに『処女でもないんだから一回位いいのかも』なんて普段は絶対考えないことを思った。
一回だけならただの過ちで済んだと思う。けれどショウとは連絡先を交換して、夏の間に何回も逢った。逢うのは涼しくなってきた夕方が多くて、少しデートして、食事とお酒を経て、セックスをする。次の日は朝食を一緒に食べて解散する。
ショウはお気に入りのラブホテルがあって、空いていれば決まって三〇七号室を選んだ。なぜか聞いたら最上階の角部屋で一番奥にある秘密基地感がよくて、しかも自分は七という数字が好きだから、なんて言って笑うのが可愛い。
ショウは律義な人だった。小さな礼節が飛び交うメッセージアプリは気軽さとは少しチグハグしていたけれど、夜遅かったらその旨を詫び、きちんと返事をしたことについて御礼の文が返ってくるのが嬉しかった。待ち合わせの時はお互いが歩きスマホをしないためにという理由で必ず電話をしてくれた。毎回、今電話をしても大丈夫? と言ってくれる。完璧だった。
「マナちゃんが親しき中にも礼儀ありって言ってたから、俺なりの努力」
そう言ってはにかむのが嬉しくて、私もショウの好みを聞いて、髪をいつもと違うように染めてみたり、化粧を少し変えたり、仕草の癖を直したりした。楽しくて、濃密な時間を過ごしたと思う。出逢って二ヶ月も経ってないのに、半年は付き合ったような感覚だった。
きっと、その日は唐突だった。
初めて逢った日に行ったホテルのたまたま空いてた四〇三号室になだれ込む。珍しく朝からのデート、しかも海に行っていてくたくたで、シャワーを浴びたら二人とも眠ってしまって。けれど早朝に起きて、いつものように抱かれた。
二人で広いベッドに再度寝転んで微睡みながら話す時間が好きだ。いつもならこのまま眠ってしまうけれど、チェックアウトまで時間がたくさんあるわけじゃないから、うとうとする程度に留めないと。
今までは快楽でとろけた思考を元に戻すためにできるような、本当に他愛ない話ばかりをしていたけれど、何回も体を重ねた故に少しだけ回せた思考の中で、ふと夏がもうすぐ終わるなと思った。そして、感じたことを言った。
「クリスマスも、こうして過ごしたいね」
そうだね、と返ってくると思っていた。
「えっ?」
少し低く、驚いたような声に私はショウの胸元に寄せていた顔をぱっと上げた。ショウはきょとんとしていて、私の顔を見てまずい、という顔をした。何、その顔。氷水を全身にぶちまけられたみたいに、眠気が覚めていく。思わず起き上がって、距離を取る。ベッドの上、向かい合わせに真っ裸で座るなんて間抜けな格好。するのはきっと、別れ話だ。
「私のこと、遊びだったの?」
「遊び、というか……就活も忙しくなるし。俺、学生最後の夏、彼女作って一緒に楽しみたかっただけで。今後すれ違いも多くなるな、と思ってて……」
つまり、この男は。ひと夏の思い出にしたかったのか。だから、私が気にいるような努力もさらりとできたのか。忙しさを理由にフェードアウトして、自分は就職をして環境を一変して、いい思い出だったなんて酒の肴にしたり、別の女性と結婚を視野に入れた長期のお付き合いをしたり。想像して、どろりとした嫉妬に目を細める。
「ごめん、マナちゃん。でも、マナちゃんだって最初にそんなつもりじゃなかったなんて言ってたから。だから俺、夏だけで割り切ろうって。これからうんと忙しくなって、未練も感じる余裕ないだろうしって。だから今更、そんな、長く付き合う前提のこと言われても、正直困る……」
「……そう」
こんなにショウを好きになってしまった私に、今更そんなこと言われて困るのはこっちの方だ。勝手なことばかり言って、酷い男。カッと流れる激情のままショウに手を挙げて、持っている水を頭にかけて、怒鳴りつけて、ホテル代も払わずに出て行くことだってできた。けれど、それができないくらいにはショウのことが好きで、好きで。けれど、ショウは本当に困っている顔をしていた。ああ、やだ、望みないな。だから聞き分けのいい女の返事をして、強がりの笑みを浮かべる。お願いだから震えないで、私の声。泣くなよ、まだ泣かないで、私。
「じゃあ、今日でおしまいね」
「っ、…………うん、ありがとう、マナちゃん」
なんであなたが傷付いた顔をするの。困るよ。黙ってフェードアウトしてくれたら、好きなのに自然消滅されちゃった被害者でいれたのに。こうやって私からなんて、言質まがいなものを取って、最後まで甘い目で私を見るなんて、ズルいよ。
ねえ、私ね、マナミって言うの。でも私も、ショウが本当にショウなのか、あだ名なのか知らないの。苗字でさえ。想像以上に、私たちお互いのことを知らないね。
律義に私を駅まで送ったショウが振り返ることなく遠ざかる。冬になったら私のことは誰が温めてくれるの、とその背に向かって小さく吐き出す。雑踏に混ざって見えなくなるまで睨みながら、伝う涙を乱暴に拭う。精一杯の抵抗だった。思考がバラバラだ。
私はこんな面倒くさい女じゃなかったのに。暑すぎるこの夏に、頭まで茹ってしまったから恋に溺れてしまったのかな。そうじゃないなら、夏のせいじゃないなら、絶対に、絶対に、ショウのせいだ。
そうやって、ひと夏の恋は終わりを告げた。
今年も暑いな、日が暮れた帰り道でさえ。そんな当たり前のことを思いながら、今日も私は帰路に就く。暑くてたまらない夜、ショウとの思い出と未練があふれて毎回嫌になるから、夏は好きじゃない。きっと毎年思い出してしまうから、ずっと好きじゃないんだろう。